弦巻敏夫
会長
創業者あいさつ

平素は、大変お世話になりまして、誠にありがとうございます。

私は、荷役会社が共同出資して設立した東京港機械荷役に勤め、まだ国内にクレーン車がなく、アメリカ軍払い下げのクレーン車を使っていた頃からクレーン車を運転操作していました。日本製クレーンが主流ではない頃には、神戸製鋼所が米国のP&H製クレーンを、浦賀重工業が米国のローレン製クレーンを販売しており、ローレン製クレーンの修理・整備などで全国を歩いたこともあります、そうした経験から、当時の多田野鉄工所の社長などからはよくアドバイスを求められたりしたものです。多田野鉄工所をはじめ国内クレーンメーカーは、高度成長期のインフラ整備や工場建設、住宅建設など、日本の発展とそれに伴う社会の要求に応じ技術力をつけ、大企業へと成長するわけですが、私は、昭和30年代に各地で石油精製工場や化学工場・製鉄所などの建設が行われる中、特に京浜地区の工場・発電所の建設に当初から携わりました。当時は安全よりも結果(完成させること)重視で、安全意識も低く、オペレーターはノーヘル、草履で運転し、アウトリガーが浮くまで作業するのは当たり前、時には現場で1日に3台もクレーンが転倒したこともありました。今では考えられないことですが、とても活気のある時代でした。そんな高度成長期の昭和40年代には、クレーン作業専門の会社が雨後の筍のように次々と創業し、私も昭和43年に中古のクレーン1台を買って起業しました。その後お陰様で年々台数も増え、オイルショックやバブル崩壊などを乗り越え、クレーン創成期から今まで、クレーン作業一筋に仕事を続けてくることができました。大変ありがたいことです。

それは今思うに、「お客様あってこそ」ということです。「日々お客様に喜ばれる仕事」をし「お客様から信頼を得て」「お客様にとってに必要な存在」になるということです。クレーン車の開発技術は向上しても、クレーンを操作するのは人です。これからも、お客様にとって必要な会社であり続けるよう、人を大切にし後身を育てていきたいと思います。ご指導・ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。